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ハーマン・メルヴィル
Herman Melville
(1819-91)
アメリカの作家。今では世界
文学の巨匠に数えられ、アメ
リカ文学の最高峰との評価は
揺るぎのないものとなってい
るが、作者の後半生、19世
紀後半には、ほんの一部の人
にしか読まれなかった。
書きたいことを書くと売れな
いという、苦悩と覚悟をくぐ
り抜けた作者である。
だが、死後、1920年代から評
価は劇的に変化する。
彼の作品に感銘し、敬意を捧
げる読者が続々と現れ今日に
いたっている。
なかに、D.H.ロレンスや
カミュがいる。
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Herman Melville
白鯨Mobby-Dick (1851)
日常生活に対する一切の興味と関心を失い、この世界を捨て、
見知らぬ遠い世界にあこがれて捕鯨船に乗り組んだ青年イシュメ
ールの前に現れたのは、鯨の骨を削って作った義足に身体の半分
をあずける片脚の老船長だった。老船長はかつてみずから挑みか
かった白い抹香鯨に逆に片脚を食いちぎられたのである。
19世紀、帆船時代のヨーロッパ、およびアメリカの捕鯨は世
界中の海に船を走らせ、鯨を見つけては数隻のボートを下ろし、
鯨に近づき、銛や槍を打ち込んで鯨を弱らせ殺すという危険な作
業であった。これは蝋燭やランプの油を採るための当時の重要産
業であった。
老船長エイハブは、この航海の目的は単なる捕鯨にはなく、受
けた苦しみに対する復讐にあると宣言し、乗組員の協力を取り付
ける。そして白鯨モービィ・ディックを探し出すべく世界の海を
巡航し、ついに遭遇するのだが、返り討ちに遭い、今度は船もろ
とも乗組員全員が白鯨の犠牲となり、青年だけが生き残る。
タイピーTypee (1846)
捕鯨船の船員トモとトビーは、横暴な船長のもとではこれ以上
苛酷な毎日に耐えられないと、船が太平洋のマルケサス諸島に着
いたときに脱走する。
温厚な部族であるハーパー族のところに逃げるつもりが、誤っ
て二人は攻撃的な食人種という評判のタイピー族に捕まってしま
う。原因不明の足の痛みに苦しむトモのために助けを求めて出て
いったトビーは帰らず、トモ一人がおよそ四ヶ月の軟禁生活を送
ることになる。
その間、足の痛みも消えたトモは、乙女フェヤウェイや従者コ
リコリらと牧歌的な生活を楽しみ、同時に部族の慣習、宗教など
について観察と考察を繰り広げる。しかしたまたま骸骨や人肉の
残骸らしきものを目の当たりにしたトモは、再び恐怖心を抱くよ
うになる。そのうえタイピー族が彼の顔に入れ墨をするようにし
つこく求めるようになるや、トモは必死の思いで逃亡を図り、オ
ーストラリアの船に助けられる。
書記バートルビーBartleby, the Serivener (1853)
『白鯨』から二年後に発表されたメルヴィルの短編。
世界の海を舞台にする『白鯨』と、四方を壁に囲まれた狭い事
務所を舞台にするこの作品との規模の違いは歴然としているが、
エイハブの狂気とバートルビーの狂気が、周囲の者みんなに感染
していき、異様な人間状況をかもしだす点では『白鯨』と対をな
す。
語り手であるウォール街の弁護士は風変わりで亡霊のようなバ
ートルビーを代書人として雇う。しかしバートルビーは同僚と交
わろうとせず、代書の仕事以外は慇懃ながら頑として拒み続ける
─つねに「ごめんこうむります(I would prefer not to…)」と
言って。
そのうちに代書の仕事も拒むようになり、やむなく雇い主は解
雇を言い渡すが、それも拒み、事務所をねぐらに、退去も拒む。
やむなく弁護士は他の事務所に引っ越すが、新しいテナントは、
なおも退去を拒み続けるバートルビーを不法占拠のかどで当局に
逮捕させる。弁護士は監獄をおとずれ援助を申し出るが、バート
ルビーはそれも拒み、やがて監獄の中庭の壁の根元で餓死する。
弁護士は以前バートルビーが配達不能便を扱う郵便局の下級職員
だったという風評を耳にする。「ああ、バートルビーよ、ああ、
人間よ」という文句でこの小説は終わる。
知的ごった煮の『白鯨』
アメリカン・ルネサンスの文学を代表する作品のひとつに『白
鯨』がある。この小説の筋を無理にでもひとくちでいえば、「白
く巨大な抹香鯨に片脚を食いちぎられたエイハブ船長は、復讐の
念にかられて、この鯨を世界の海mをめぐって追跡するが、かえ
って逆襲にあって船もろとも生みの藻屑と消える」物語とでもな
ろうが、これはそんな要約の枠組みに容易におさまるていの本で
はない。
『白鯨』は冒頭に「語源」「抜粋」という奇妙な断章をもち、
135章の本体と「エピローグ」からなる「知的ごった煮」である。
その本体も語り手イシュメールとクイークェグとの陸上冒険の部
(1〜22章)から始まり、つなぎの3章を間において海上冒険の
部にはいるが、それからはただの鯨をとるお話ではなくなる。
「物語」と「物語」の章の間に、シェイクスピア調の「劇形式」
の章、「物語」と「劇」との合いの子の「準劇形式」の章、他の
捕鯨船との「出会い」の章、衒学的かつ滑稽な「鯨学」の章、哲
学的瞑想や談論の章が「細心の無秩序」(82章)で組み込まれて
いて、この本の読みを難しくしているが、これが世界の謎を解く
ことのむずかしさの寓意にもなっている。
また狂暴で、狡智にたけ、しかも大洋の各所に同時に出現する
という白い鯨は、偏在する「神」にも似た存在になっている。
「古典主義者は神をその本質において描き出し、マニエリスト
はその実存において描き出す」(『迷宮としての世界』)とはホ
ッケの解題だが、これは『白鯨』のみならず、アメリカン・ルネ
ッサンスの文学作品に観念を実体であらわす寓意的な作品が多い
ことを妥当に説明する。
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